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「受賞」 に潜む権力構造への抵抗

  • 執筆者の写真: Hirokazu Kobayashi
    Hirokazu Kobayashi
  • 13 時間前
  • 読了時間: 5分

小林裕和

(株)グリーン・インサイト・代表取締役/静岡県立大学・名誉教授・客員教授

 




小中学生のときの原体験として、水彩画や習字での地元の展覧会の賞は、自信とモーティベーションに繋がった。一方、私は研究を職としてきたがその駆け出しのころ、ボスからある学会の 「奨励賞」 に推薦したいと言われ、断った。私はそのボスに気に入られていて、私はそのボスの業績に貢献していた。したがって、その受賞と引き換えにボスへの服従の意図を感じ、それから逃れたいと思った。以後大学において学生を指導する立場となり、また大学運営にも携わった。その過程で優秀な学生や教員を表彰したいという意見には、いつも戸惑いを感じてきた。

 

史実に残る世界最古の 「賞」 として、古代ギリシャの競技褒賞を挙げることができる。古代オリンピック (Ancient Olympic Games:紀元前776年〜) は、競技勝者に月桂冠やオリーブ冠などの名誉、あるいは特権を与えた。功績への純粋な賞賛に加えて、国家維持に必要な強靱な肉体を重視する国民性を見て取ることができる。また、古代ギリシャの演劇コンテストとして、アテネでは、ディオニューシア祭 (City Dionysia:紀元前534年〜) が催された。ここでは、アイスキュロス (Aeschylus:紀元前525年頃〜紀元前456年頃)、ソポクレス(Sophocles:紀元前496年頃〜紀元前406年頃)、エウリピデス (Euripides:紀元前480年頃〜紀元前406年頃) などが活躍した。これは、「芸術を審査で評価する」 という現在の文学賞・映画賞の原点となっている。一方、日本では平安時代 (794年〜1185年)、歌合 (うたあわせ) として左右に分かれて和歌を詠み、判者が優劣を決めた。600ペアが競う壮大な六百番歌合 (1193年) では、技巧、教養、美意識、政治力まで含めて競われた。また、「治承・寿永 (じしょう・じゅえい) の乱 (1180年〜1185年)」 や 「関ヶ原の戦い (1600年)」 他では、領地、官位、刀、馬、名誉称号などが武功への恩賞として与えられた。すなわち、「賞」 は権力者による統治機構への組み込みの手段であった。江戸時代 (1603年〜1868年) では、徳川幕府や藩による孝行者表彰、節婦表彰、発明奨励、農業改良褒賞などが設けられた。

 

現在の最も著名な 「賞」 として、ノーベル賞が挙げられる。これは、アルフレッド・ノーベル (Alfred Nobel:1833年〜1896年) の遺言により、彼の死の前年の1895年に設立された。ノーベルは、彼の富は 「人類のために最大たる貢献をした人々に分配されるもの」 と記した。すなわち、権力構造とは無縁の原点であるにもかかわらず、複数名の授与辞退者を挙げることができる。ジャン−ポール・サルトル (Jean‑Paul Sartre:1905年〜1980年) は 「作家は制度化されてはならない」 として、1964年ノーベル文学賞を辞退した。また、レ・ドゥク・ト (Lê Đức Thọ:1911年〜1990年) は 「体制側が自分を取り込みたかった」 として、1973年ノーベル平和賞を辞退した。彼らは選考方法に権力構造を感じたのだと理解される。自然科学系のノーベル賞で辞退者はいないが、1965年ノーベル物理学賞受賞のリチャード・ファインマン (Richard Feynman:1918年〜1988年) は、ノーベル賞に対し人を序列化することへの違和感を述べた。また、ヒッグス粒子理論で2013年にノーベル物理学賞を受賞したピーター・ヒッグス (Peter Higgs:1929年〜2024年) は、ノーベル賞により評価が前面化することへの違和感を表した。アカデミー賞 (オスカー) において、マーロン・ブランド (Marlon Brando:1924年〜2004年) は、「ゴッドファーザー」 に対する1973年アカデミー主演男優賞を辞退した。代わりに、彼はネイティブ・アメリカンの活動家であり女優のサチーン・リトルフェザー (1946年〜2022年) を授賞式に送り込み、ハリウッドによる先住民の描写やアメリカ社会の差別的な構造を批判させた。しかし、彼は1954年に 「波止場」 では同賞を受賞している。

 

日本では、大江健三郎 (1935年〜2023年) が1994年ノーベル文学賞受賞後、日本政府からの文化勲章授与の打診に対して辞退した。大江氏は 「国家からの栄誉は受けない」 という立場を明確にした。これは単なる反権威ではなく、国家による文化の囲い込み、作家の独立性、戦後民主主義、天皇制などへの思いが複雑に絡んだ結果と理解される。また、民芸運動の流れを汲む陶芸家である河井寛次郎 (1890年〜1966年) は、文化勲章、人間国宝、日本芸術院会員推薦などを辞退した。河井氏は 「美は名声ではなく生活に宿る」 という思想に基づき、芸術を序列化することへの違和感、制度化された 「権威芸術」 への距離感、「無名の職人」 としての価値観を重んじたと推察される。画家である熊谷守一 (くまがい もりかず:1880年〜1977年) も、文化勲章を辞退した。熊谷氏は、極端なまでに世俗的成功に無関心であり、晩年はほとんど自宅の庭から出ず 「仙人」 のような生活を送った。彼の場合は政治思想というより、名誉そのものへの無関心、制度から距離を置く生き方、創作と社会的成功を切り離す姿勢の具現であったと理解される。

 

このように見てみると、「賞」 には “賞賛 → 名誉あるいは報奨 → 集団としての資質の向上 → 統治の強化” という構造が付きまとう。多くの場合、当該者の社会貢献への賞賛を設立の趣旨とするが、人による人の順位付けの側面を有し権力構造と無縁でなくなる。とはいっても、基礎生物学研究所の同僚であった大隅良典氏 (1945年〜) や静岡県立大学でお世話になった本庶 佑氏 (ほんじょ たすく:1942年〜) のそれぞれ2016年と2018年のノーベル生理学・医学賞受賞、およびそれぞれ2016年と2013年の文化勲章受章に対しては賛辞を送りたい。

 


 

 
 
 

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