小林裕和
(株)グリーン・インサイト・代表取締役/静岡県立大学・名誉教授・客員教授
2010年、当時政権与党であった民主党は、予算編成のために 「行政刷新会議」 を設けた。そこで 「事業仕分け」が行われ、蓮舫議員より本標題の質問が発せられた。本来、高い知性と好奇心は、ヒトに与えられた特権の1つであり、それは研究という行動に繋がる。そして、これは結果的には競争に曝される。軍事や収益に結びつく技術は分かり易い例であるが、必ずしもそれらに限らない。
いくつかの著名な例を紹介する。フレデリック・バンティング (1891年〜1941年) とチャールズ・ベスト (1899年〜1978年) は、1921年にインスリンを発見した。バンティングらが、1923年のノーベル生理学・医学賞の受賞対象となった。ゲオルク・ルートヴィヒ・ツュルツェル (1870年〜1949年)、アーネスト・ライマン・スコット (1877年〜1966年)、イスラエル・クライナー (1885年〜1966年)、ニコラエ・パウレスク (1986年〜1931年) も、インスリン活性様物質の発見に至っていた。
生物による唯一の太陽エネルギー獲得系である光合成は、水と空気中の炭酸ガス (二酸化炭素) からそれぞれ酸素分子と糖を生産する。この反応の一般式をコーネリアス・ヴァン・ニール (1807年〜1985年) が1931年に発表した。同年、柴田桂太 (1877年〜1949年) も同様の一般式を発表したが、和文であったため世界的な注目を浴びなかった。
1953年にDNAの二重らせん構造が明らかになった。自然科学において最も権威がある学術雑誌 "Nature” には、ジェームズ・ワトソン (1928年〜) とフランシス・クリック (1916年〜2004年) の論文に加えて、モーリス・ウィルキンス (1916年〜2004年) とロザリンド・フランクリン (1920年〜1958年) のそれぞれの研究グループの論文が同時掲載された。これらのうち、ワトソン、クリック、ウィルキンスが1962年ノーベル生理学・医学賞を受賞した。取り分け、フランクリンのX線回折データが重要な知見を提供した。また、この発見は、オズワルド・アベリー (1877年〜1955年) やエルヴィン・シャルガフ (1905年〜2002年) による先行研究なくしては、あり得なかったと考えられる。
同時期に同様のテーマの下に研究が進展するのには、必然性がある。現代の科学研究は、技術的方法論に依存している。したがって、方法論が開発されると、それを利用して未解決のテーマに挑もうと、同時期に複数の研究者が思い付くのである。1970年代を通じ遺伝子をコードするDNA断片を増やす技術 (クローニング) や、その遺伝情報 (DNA塩基配列) を決定する技術が進んだ。多くの生物の幾多の営みに介在する遺伝的背景が、爆発的に解明され始めた時代である。私は1983年から2年間弱、ハーバード大学で博士研究員として植物の遺伝子発現の研究に従事した。生物の営みの多くはタンパク質 (酵素) の働きで説明できる。太陽の光を生物が利用し空気中の炭酸ガスから糖を合成する 「光合成」 反応において、炭酸ガスを固定する酵素はルビスコと呼ばれる。この酵素は、2種類のポリペプチド (サブユニット) それぞれ8個から構成される16量体である。16量体として始めて本来の酵素活性を発揮する。この16量体が正しい構造で組み上げられる過程において、どのような機構が介在するのかが謎であった。1985年、私は名古屋大学で助手として、この問題解決の先陣に立った。光合成と関係がないモデル微生物である 「大腸菌」 を使い、これら2種類のサブユニットの遺伝子を発現させたところ、酵素活性を有する16量体が形成された。これに興奮し、"Nature" に発表できると思った。"Nature" 編集部にその旨を打診したところ、類似の論文が "Nature" 誌で発表予定であるため要望に応じられないとの返答を得た。結果的に、私たちの仕事は別の速報誌に発表した。その後、静岡県立大学に赴任した。光合成において重要な役割を演じるルビスコの遺伝子発現について、1997年に世界に先駆けて、その制御の根幹をなす "シグマ因子" の遺伝情報を解明した。この結果は、ノーベル賞受賞対象研究も多く発表される "米国科学アカデミー紀要 (PNAS)" に発表することができた。この研究もまた、世界の4研究室で同時に進行し、競争になっていた。
私のように遺伝子とその発現機構を研究する者にとって、生命の設計図であるDNAの構造を解明しノーベル賞に輝いたワトソンやクリックは神様に近い存在だ。ワトソンは、その後ニューヨーク州ロードアイランドにあるコールドスプリングハーバー研究所において所長を務めた。この研究所では、毎週のように各研究集会が開かれる。この名物行事である野外ワインパーティーには、ワトソン (愛称:ジム) がフラっと現れる。私は、二度ほどお目に掛かった。一方、クリックは、カリフォルニア州サンジェゴにあるソーク研究所のフェロー。ソーク研究所を訪れた際、"DNA" との文字を含むナンバープレートの車を示し、これがクリックの車だと教えられた。ワトソンの奔放さが偉業に結びついたと考えられるが、それゆえ、その後の行動や発言が世の中の批判を浴びることも少なくない。ワトソンは、96歳というご高齢でありながら、未だご健在であると聞く。
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