小林裕和
(株)グリーン・インサイト・代表取締役/静岡県立大学・名誉教授・客員教授
トマトは果物か野菜か? 1893年当時、米国では輸入される 「野菜」 には関税が課せられる。一方、「果物」 にはかからなかった。そのためこれが裁判に掛けられた。”ニックス・ヘデン裁判” と呼ばれ、米国の最高裁判所は、トマトは 「野菜」 であるという判決を下した。私が幼い頃の1960年代、日本の高度経済成長期のトマトは夏の食べ物であり、トマト臭いためこれを苦手とする子供が多く、見た目にも不格好だった。その後、トマトはこれらの点が改良され、併せて栽培法の工夫により、季節を限定しない野菜となった。トマトは、1990年代以降生産量世界一の野菜となり、今日年間約2億トン。日本円に換算して、14兆円となる。トマトの原産は南米アンデス高原であり、1519年にエルナン・コルテス (1485年〜1547年) によりメキシコからスペインに伝わったとされる。最初は観賞用植物であったが、その後食用に転じた。
トマトは緑色の果実として大きくなり、その後黄色を経て赤色に変わる。この過程で何が起こっているのか、私は1980年代後半、この研究課題に取り組んだ。トマト果実の緑色から赤色への変換過程にはいくつかの出来事が同時並行で進む。第1は、緑色の果実では太陽エネルギーを利用して空気中炭酸ガスを固定して糖を合成する 「光合成」 を営み、その結果を含めて果実は成長するが、赤色化に伴いこの活動は停止の方向に向かう。第2は、光合成において太陽エネルギーを受け止める働きをする緑色素クロロフィルの分解。第3は、赤色の成分は 「リコピン」 と呼ばれ、これは癌を予防する効果があるが、この合成・蓄積が開始される。
光合成、クロロフィル分解、リコピン合成のそれぞれの指令は、DNA遺伝情報にある。DNAの遺伝情報は、A、C、G、Tという4種類の文字の組み合わせからできている。これらのうちCについて、その化学構造の5位にメチル基が入ることがある。私たちは4種類の方法を用い、トマト果実の赤色化過程で、葉緑体の光合成遺伝子がメチル化し、その結果これらの遺伝子が発現しなくなり、最終的に光合成機能が停止するとの結論に至った。"米国科学アカデミー紀要" と並び称される欧州の “EMBOジャーナル” に1990年これを発表した。この結果は、他の研究者の興味を引き、トマトや他の植物を用い、DNAメチル化と遺伝子発現についていくつもの研究が行われた。その後30年余、私は別の研究課題に取り組んだ。この間に文献データベースが完備され、私たちの発表論文がその後のどの研究論文に引用されているかを容易に知ることができる。近年、メチル化DNAの包括的解析 (メチローム) が可能になってきた。イネの登熟過程における葉緑体DNAメチル化の分析結果は、私たちのトマトの実験結果を強く支持している (学術的な補足情報は別途掲載)。
緑色素クロロフィルの分解については、約100年前の1921年に、ダイズにおいてstay-green (sgr:緑色維持) 遺伝子が報告された。現在に至り、SGRタンパク質の実体とその制御機構が明らかになっている。一方、カロテノイドの一種である赤色成分リコピンは、1873年に発表された。その後、1950年代までに化学構造が決まり、1960年代にかけて生合成経路が解明された。現在では、ゲノム編集を用いリコピン濃度を上げることも可能となっている。野菜として世界一の生産量を誇るトマトについて、その成熟過程に潜む分子機構解明を紹介したが、このような研究がトマトの改良に貢献していくことも伝えたい。
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