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  • 人生は3C!

    小林裕和 (株)グリーン・インサイト・代表取締役/静岡県立大学・名誉教授・客員教授   1960年代の “3C” をご存知であろうか? 当時、日本は高度経済成長の真っ直中、color TV (カラーテレビ)、cooler (クーラー)、car (車) が庶民の憧れの的であった。このような言い回しは、他にもある。”マーケティングの4C”:customer (顧客)、cost (コスト)、convenience (便利さ)、communication (コミュニケーション)。”ダイヤモンドの4C”:carat (カラット)、color (カラー)、clarity (クラリティ, 透明度)、cut (カット)。”教育分野の4C”:critical thinking (批判的思考)、communication (コミュニケーション)、collaboration (協働)、creativity (創造性)。“C” 以外に ”K” もある。最近 ”4K” といえば、解像度 3,840 × 2,160 を表すが、” 労働の3K”:きつい (kitsui)、汚い (kitanai)、危険 (kiken) というのもある。   好奇心を源として、好きなことをして収入が得られれば、これは最大の幸せであろう。言い換えれば、趣味が職業になること。音楽家、美術家、作家、役者、学者などは分かりやすい例である。ただし、あまり高見を目指すべきとは思わない。何故なら、行き詰まって自殺という結末があることを知っている。医者、政治家、企業家、公務員などとして、社会貢献に生きがいを見出し、それを楽しいと感じることも素晴らしい。私は、「好奇心と勘違いの自信」 をモットーとしてきた。そこで、「好奇心」 はcuriosity、「自信」 はconfidenceである。さらに、「集中」 という言葉が好きだ。「集中」 はconcentration。2014年3月、卒業生に送る言葉を求められ、これらを書いた。本庶佑先生 (1942年〜:2018年ノーベル生理学・医学賞受賞) は、2012年〜2017年、静岡県立大学で理事長を務められた。この間、私は同大学で学府長、副学長としてお世話になった。本庶先生は、京都大学のホームページに、「独創的研究への近道:オンリーワンをめざせ」 と題するエッセイを書かれていた。そこで、curiosity (好奇心)、courage (勇気)、challenge (挑戦)、confidence (確信)、concentration (集中)、continuation (継続) を挙げられていた。これは研究成果ではないが、研究者の世界では 「2位じゃダメなんでしょうか?」 と聞かれると。答えは、「ダメ」。最初に発表しないと価値がない。この点は残念だが、人生に有用な3Cとして、curiosity (好奇心) から始まり、confidence (自信) を持って、concentration (集中) すれば、成功するはずだと言いたい。

  • 白内障の多焦点レンズ:脳の処理能力によって生かされる!

    小林裕和 (株)グリーン・インサイト・代表取締役/静岡県立大学・名誉教授・客員教授   約1,000前の平安時代、 「安寿と厨子王」 で厨子王が最後に出会う目の不自由な年老いた母親は、白内障を患っていたのではないかと思える。 高齢者に多い目の病気は、「白内障」、「緑内障」、「加齢黄斑変性」 の順であり、65歳以上の60~70%が白内障であると言われている。白内障は、2000年頃までは治療が難しい病気であった。年寄りは目が悪いのが当たり前であり、それを受け入れるしかなかった。 私たちはいい時代に生まれたものだ。私の場合、走行中に高速道路の標識が読み取りにくくなり、また、スクリーンに映写されたスライドの字が読み辛いと感じるようになった。そこで、眼鏡を色々と代えてみたが改善せず、ついに眼科医を訪ねることとしたのは、55歳の時であった。白内障だと診断され、薬で進行を抑えられる可能性はあるが、症状改善には手術しかないと言われた (発症の年齢が平均より早かった)。セカンド・オピニオンを求めて、別の眼科医を訪ねたが、同意見であった。そこで手術を決断することになるが、この手術で核となる技術は、ゲル化した水晶体の内容物の超音波乳化吸引、そして装着時に折りたため装着後開く眼内レンズの登場である。   この眼内レンズには選択肢が残される。単焦点か多焦点か。単焦点の場合は、通常遠くに焦点を合わす。したがって、読書の際などには老眼鏡を着用。一方、多焦点は遠くと近くの両方が見えるという欲ばりなタイプ。しかも、保険適用外となり高価。そんなに入れ換えるものではないので、私の場合最新技術と思える多焦点にしてみた。しかし、単焦点を勧める眼科医が少なくなく、多焦点は少し冒険であるが、私には合っていた。今は、裸眼で "1.0" が出ており、これで近くも遠くも眼鏡いらずだが、多焦点と言っても2010年当時は2焦点のみ。デスクトップ・パソコンでの仕事時は、中距離のため眼鏡がある方が見やすい。人間の脳は優れたもので、2焦点レンズで遠くあるいは近くを見ると、シャープとぼやけた画像の両方が網膜に映るが、脳はシャープな画像のみを認識する。しかし、夜間は話しが違う。光を見るとぼやけた方の画像を取り除けず、ハロー (光輪) あるいはグリア (ギラギラ) となるが、慣れれば違和感はなくなる 。 最近、3焦点レンズを装着した人から、近くがはっきり見えにくいと言う苦情が聞こえてきた。3焦点レンズは中距離に重点を置いているため、近距離のシャープな画像の光量は1/3以下となり、これは欠点と言える。普段眼鏡になれている人や細かい仕事をする人には、単焦点の方がお勧めとする節にも肯ける。私の経験から、単焦点と多焦点のどちらがよいかと尋ねられると、活動的でいたいなら2焦点、 そうでないなら単焦点と答えたい。

  • デジタル化の軌跡:最新鋭ChatGPTは気分屋!

    小林裕和 (株)グリーン・インサイト・代表取締役/静岡県立大学・名誉教授・客員教授 1950年代生まれの私にとって、ロボットと言えば、「鉄腕アトム」 や 「鉄人28号」。未来のイメージは、「宇宙家族」 シリーズのアニメだった。当時の日本は、高度経済成長の真っ直中。なので、自分の生きているうちにそのような時代が来るように思えた。「もの」 としてのロボットよりも前に、デジタル技術に遭遇した。私の研究分野では遺伝情報を扱う。1970年代後半、DNA塩基配列 (遺伝情報) の解読ができるようになった。遺伝情報は、A、C、G、Tの4文字の並びに秘められている。A、C、G、Tの1つずつを塩基と呼ぶが、仮に100塩基なら、その並び方の可能性は、4 ¹⁰⁰ (1.6 × 10 ⁶⁰ ) になる。このような情報を扱うにはヒトの頭では無理になってきた。そこで、パソコンを活用するようになった。アメリカ合衆国ではIBMとCommodore、日本ではNECが主力であった。1984年に博士研究員を終えて帰国した私は、NECのPC98シリーズを購入。月給の4ヶ月分ぐらいしたので今でも家内に根に持たれている。それは、ワープロとしても使えるようになった。私の職場は名古屋大学・アイソトープ総合センターだった。そこでは放射性同位元素を実験に使うため、研究者の出入を管理する必要がある。現場に直結したデジタル技術として、1980年代後半、パソコン制御による管理区域への出入管理システムを外部委託により構築した。人物を同定するために、映画 「007」 張りの網膜像読み取り装置まで導入した。その頃のパソコン通信は電話回線を介し、モデムが活躍していた。1991年に静岡県立大学に赴任して、新築の建物ではLANケーブルが壁中に埋設されているのに感動した。前職の名古屋大学など多くの大学では、建物の廊下の天井に多数のケーブルがむき出しで這っていた。その後、モデム通信からSINETを介するインターネットへと移行した。   現在まで、Macを中心にパソコンを3〜4年おきに買い換え、その都度記憶媒体が10倍ずつ増えることに感動してきた。MB (メガバイト, 10 ⁶ ) から始まり、その1,000倍のGB (ギガバイト, 10 ⁹ )、今はさらに1,000倍のTB (テラバイト, 10 ¹² )。すなわち、100万倍になった。現在のデジタル情報の世界総量は、150 ZB (ゼタバイト, 10 ²¹ ) ぐらいだといわれている。TBの1,000倍がPB (ペタバイト, 10 ¹⁵ )、その1000倍がEB (エクサバイト, 10 ¹⁸ )、その1,000倍がZBだ。情報科学の理解以外の目的でこのような数字を扱うことはない。「兆」 (10 ¹² ) の上が 「京」 (けい:10 ¹⁶ )、「垓」 (がい:10 ²⁰ ) とのこと。すなわち、1500垓。このような膨大な情報から欲しいものを抜き出すのが、「検索」 技術であるが、現在の最進化型が2023年3月に登場したChatGPT4。”GPT” とは、”Generative Pre-trained Transformer (生成可能な事前学習済み変換器)”。先端技術の恩恵に預かりたい私は、これを重宝しているが、この作業はファジーに感じることが多い。すなわち、「人間味」 がある。表示の欄外に、「ChatGPTは間違いを犯す可能性があります。重要な情報は確認することをお勧めします。」 と逃げをしっかり打っている。その限界として、150 ZBの情報には著作権で保護されている部分があり、これらが使えないことが挙げられる。ChatGPTの仕組みに関する部分は判断ができないので、ChatGPT自身に聞いてみた。そうすると、私の指摘事項を含む 「データとトレーニングの限界」、つぎに、「技術的な制約」。すなわち、現在の技術では、全ての情報を完全に正確に解釈、再現することは難しい。これは、理解や生成のプロセスに固有の不確実性や限界があるためとのこと。最後に、「抽象的な概念の解釈」、これは抽象的な概念や曖昧な記述の解釈に起因するとのこと。 その結果生じる虚偽が、自信を持った表明に見える。これは、専門用語として 「幻覚 (hallucination)」 と呼ばれるようになった。意図を伴った虚偽が埋め込まれることもあるが、そうでない前提に立ちたい。その場合 、最先端デジタル技術は結構 「気分屋」。人間に近く、怒らせないように使わなければならないとさえ感じる。

  • 青色光に負けない植物:そして人の役に立つ!*

    小林裕和 (株)グリーン・インサイト・代表取締役/静岡県立大学・名誉教授・客員教授   青色光はヒトの目によくない。青色光はエネルギーが強く紫外光を含むとなお有害。目の網膜が損傷を受けると修復は困難となるため、強い日差しの下ではサングラスがお勧め。植物にとっても同様、強い青色光は有害である。しかし、自然界での植物は、日差しなどの環境要因に常に曝され、その影響を回避するあるいは利用する方向に進化してきた。その成長は 光量、気温、降雨などの要因の影響を受け、 これらの条件が揃えば、高品質の農作物が高収量となる。 しかしながら、豊作はしばしば低価格を招くため、生産者は複雑な思いのはずだ。 一方、環境要因を人為的に変えることで農作物の付加価値を上げる例も見いだされる。照光時間を制御して開花させる電照ギク、栽培時に遮光する玉露や抹茶の原料となるチャ葉、清らかな流水が必要なワサビ、時期外れの石垣イチゴなど。変わったところでは、音楽が植物に与える影響について、1962年以降いくつかの論文が発表されている。癒やしの音楽は植物の成長を促し、ロックはその逆らしい。静岡県袋井市にあるエコパ・スタジアムの芝生にクラシック音楽を聞かせているという話に対し、科学者としての見解を求められたことがある。植物科学では、現象に対する機構が見出されて漸く事実として受け入れられる。音は空気振動として葉に伝わる。葉への接触を植物が感じる機構が解明されており、音の効果も類似の機構の介在を予想させる。   紫外線に代表される短波長光は、ヒトを含めた生体細胞にDNA切断などの傷害をもたらす。これを回避するために、短波長である青色光に植物が曝されると、抗酸化活性を有するポリフェノール類を蓄積する。一方、これをヒトが経口摂取すると、肥満、糖尿病、高血圧、高脂血症、高尿酸血症、「がん」 などの生活習慣病の予防・改善効果に繋がる。そこで、 ブロッコリー・スプラウトに青色光を照射すると、ポリフェノール類含量が3倍増大することを見出し、3件の特許を出願した 。この事業化も社会貢献の1つになると考えている。

  • 欧米はフィードバック主義 vs 日本は完璧主義!

    小林裕和 (株)グリーン・インサイト・代表取締役/静岡県立大学・名誉教授・客員教授   欧米と日本には、思考パターンに違いがある。科学は英語を共通の言語として、世界中で研究結果や試料を共有しながら発展する。1990年代から各生物種のゲノム (遺伝情報) 解析が進んだ。当初はゲノム情報が少ない微生物から始まり、やがてヒトに。現在では1,000以上の生物種について、その全配列 (リファレンス配列) が決定されている。ゲノム解析と平行して、各生物種のDNA断片や変異株を世界中の研究者が共有するようになった。この目的に対し、私が研究に用いているモデル植物シロイヌナズナについては、ABRC (Arabidopsis Biological Resource Center) がオハイオ州立大学に設立された。日本では、理化学研究所BRC (バイオリソース研究センター) がこれに当たる。ABRCにシロイヌナズナ変異系統の種子分譲をインターネットでお願いすると、植物検疫証明書と発送に必要な経費、それに送料を加えた実費のクレジットカード決済で届く。しかしながら、目的の変異が消失してしまっていることが少なくない。一方、BRCの場合は、提供依頼書類に記入してメール添付で送ると、後払いで届く。BRCの場合は確実なものが届くことが多い。ABRCの場合は、取り分け、新しく樹立した変異系統を分譲する場合など、不確かなまま分譲し、結果のフィードバックを得ることにより、変異系統群の価値を確かなものにしていく。日本人は相対的に生真面目で責任感が強い。したがって、経費を取る以上、確実なものを提供しようとする。   工業製品も世界で共有されており、 車もその1つである。欧米では車を提供後、ユーザーからのフィードバックを受けながら、よりよいものに仕上げていくケースが多い。ヨーロッパ車、アメリカ車の場合、3年間あるいは4年間、または36,000マイルあるいは50,000マイルまでの無料保証が付くことが多い。この間はリコールを含めて、何度かディーラーに車を預けることになる。一方、国内販売の国産車については、そのような制度はあまり見かけない。すなわち、完成品を提供しようとする。日本のこの種の慎重姿勢が裏目に出たケースがある。車への自動運転機能の装着だ。これは、2018年に 「自動運転に係る制度整備大綱」 が公表、2019年に 「改正道路交通法」 が施行されたが、これら法整備の遅れに起因する。しかしながら、その背景には日本人の心配性と完璧主義が付きまとう。すなわち、命を預ける車の運転を自動化することへの抵抗が、日本では強かった。 私の実家は京都府福知山市、その中でもバスは日に3往復ぐらいという不便な場所。90歳に近い両親は、老人ホームに入居してもらった。一方、私は静岡市で仕事があった。いつ呼び出しが掛かるか分からない状態で、夜でも移動できることを加味し、車を移動手段として選択することとした。2015年に前の車が不調になり、買い換えたいと思った。当時、日本車で自動運転に対応しているものはなかった。そこで、安全と自動運転を売りにしているヨーロッパ車から目的のものを選ぶこととした。フラッグシップ・モデルに導入された自動運転技術は、年月を経て汎用車モデルに降ろされていく。2014年発売の車に自動運転機能が入った。この場合、7個のレーダー、2個のカメラ、4個の超音波という3種類のセンサーを駆使し、全方位を監視しながら走るので、運転していて安心感がある。その結果、長距離運転をしても疲れにくい。超音波は低速走行のみに使われるが、これら3種類のセンサーからの情報を整理し、コンピュータが操舵と速度を制御する。命を預かる制御機構なので、不備が見つかると事前に警告が出る設定になっている。4年を過ぎたころから警告が多くなり、部品更新の頻度が増え維持費が高くなった。そこで、2022年に同クラスの新モデルに買い換えた。新モデルでは、自動運転と運転手の操作との親和性が高く、安心感が向上していると同時に運転の疲れが一層軽減されていた。ヨーロッパ車はあくまで 「運転支援」 といっており、自動運転を前面に出すアメリカ合衆国に本社がある電気自動車の会社とは異なる。現在の自動運転は 「レベル2」 が主流であり、これが 「運転支援」 であることを認識していれば、人を目的地まで連れて行ってくれる安全で優れた手段である。

  • 豊かな社会が科学を育む!

    小林裕和 (株)グリーン・インサイト・代表取締役/静岡県立大学・名誉教授・客員教授   日本が世界研究力ランキングにおいて13位に転落したことを憂い、この解決策はと考えると、社会と科学発展との歴史的な関係を検証する必要性を感じる。科学は文化の一部とする定義に従い、世界史で文化の開花期を見てみると、古代ギリシャ (古典期:紀元前400年代後半~紀元前300年代)、中国の唐 (618年~907年)、イスラムの黄金時代 (700年代~1200年代)、ヨーロッパのルネサンス時代 (1300年代~1600年代初頭) が挙げられる。その後、1,700年代半ばにイギリスから始まった産業革命により、工業生産が活発化し、社会が豊かになり文化は発展した。日本史では、文化的に大きな進展をみた時期として、平安時代 (700年代末〜1100年代末)、江戸時代の元禄期 (1688年〜1704年)、宝暦・天明期 (1751年〜1789年)、文化・文政期 (1804年〜1830年) を挙げることができる。1800年代中ごろの日本人の識字率は70%を越えていたといわれており、これは当時の世界一だったとされる。その後の明治維新以降の産業の発展は、文化の展開を支えた。   科学者を含めて、文化人はどのようにして生活のための収入を得ていたのか。古代ギリシャのソクラテス (紀元前470年頃〜399年) は、友人や弟子たちからの支援。プラトン (紀元前427年〜347年) は、アテネの貴族階級。ルネサンス時代のレオナルド・ダ・ヴィンチ (1452年〜1519年) は、貴族やパトロンからの支援。また、最低の食べることが保証されていた聖職者に、科学者、哲学者を見出すことができる。ロジャー・ベーコン (1214年〜1294年:実験主義)、ニコラウス・コペルニクス (1473年〜1543年:地動説)、ジョセフ・プリーストリー (1733年〜1804年:光合成の発見)、グレゴール・ヨハン・メンデル (1822年〜1884年:遺伝の法則) が該当する。大学の定義を ”university” と捉えるなら、ボローニャ大学、パリ大学などが1100年代〜1200年代に設立された。1800年代になると、産業革命と共に科学技術の重要性が高まり、政府や大学などの機関が科学研究に資金を提供するようになった。そこで、研究者が職業として認知され、給料を得られるようになった。その先駆けとして、1810年にヴィルヘルム・フォン・フンボルト [1767年〜1835年:アレクサンダー・フォン・フンボルト (1769年〜1859年) の兄] によりベルリン大学 (現在:ベルリン・フンボルト大学) が設立され、研究と教育の自由を重視することで、研究者が専門職として認識される基盤が作られた。   日本の経済を見てみよう。第二次世界大戦後、神武景気 (1954年~1957年)、岩戸景気 (1958年~1961年)、オリンピック景気 (1962年~1964年)、いざなぎ景気 (1965年~1970年) と連続し、その後、バブル景気 (1986年~1991年)、いざなみ景気 (2002年~2008年) へと続く。1979年、エズラ・ヴォーゲルによる “Japan as Number One” が世に問われた。愛知県岡崎市にある基礎生物学研究所で、同僚としてお付き合いさせていただいた大隅良典先生 (1945年〜:2016年ノーベル生理学・医学賞:細胞の自食作用の仕組みの解明)、また、静岡県立大学においてお世話になった本庶佑先生 (1942年〜:2018年ノーベル生理学・医学賞:免疫チェックポイント阻害因子の発見とがん治療への応用) のノーベル受賞対象となる研究の開始時期が、「バブル景気」 と重なっているように見える。山中伸弥先生 (1962年〜:2012年ノーベル生理学・医学賞受賞:成熟細胞が初期化され多能性を獲得し得ることの発見) は、私が奉職した奈良先端科学技術大学院大学でノーベル賞受賞対象となった研究を開始されたが、その展開期が 「いざなみ景気」 と被っている。景気と優れた研究との間には相関があるように見えるが、日本の科学研究費が景気に合わせて細かく上下するわけではない。むしろ景気低迷に伴い、2004年から国立大学が、引き続き多くの公立大学が独立行政法人化され、これに付随する大学研究者の雑務の増加や運営費交付金の削減が大きな問題である。歴史的に見て、経済的にゆとりがある時代に科学が発展する、すなわち、豊かな社会が科学を育むと言えそうだ。

  • 日本の文化:古来よりSDGs (持続可能な開発目標)!

    小林裕和 (株)グリーン・インサイト・代表取締役/静岡県立大学・名誉教授・客員教授   明治41年 (1908年) 生まれの私の亡き祖母の価値観では、すべての有形物には神がいた。これは、自然信仰 (崇拝) に起因すると考えられるが、いわゆる 「八百万の神」 の概念である。「神」 を 「魂」 に置き換えるなら、「アニミズム ( 自然界の それぞれの物 には魂が宿るという 概念)」 に通じる。私は、一人で保育園や小学校へ行くことが不安だったが、両肩には神様がいるので寂しくないと祖母に教えられた。また、米粒にも神様がいるので、残さず全部食べるよう教わり、素直にそれらを受け入れた。人の左右の肩にいる神は 「倶生神 (くしょうじん)」 と呼ばれ、仏教の概念であるが、これも自然信仰に通じるように思われる。自然信仰は、世界中のさまざまな民族や文化において見出せる。古代ギリシャやローマにおいて、彼らは自然の力や現象を擬人化し、神々として崇拝した。ケルト人は、森、川、湖などの自然の場所を崇拝し、その中に存在する精霊や神々を礼拝した。ネイティブ・アメリカンの多くの部族は、アニミズムやトーテミズム (特定の自然物) を信仰の対象とした。ヒンドゥー教では、多くの神々が自然界の様々な要素を象徴していると考えた。北欧のゲルマン人は、森、川、山、雷などの自然現象に関連する神々を創造し崇拝した。紀元後、これらの価値観はキリスト教やイスラム教といった一神教に淘汰されていった。   日本において、古代から現代に至るまで自然信仰は重要な要素である。神道では、山や森、川や海、岩などの自然を神域として崇拝した。取り分け、山々は神聖な場所とし、山の神々や山の霊を尊重し、山岳修行や山登りを通じて霊的な成長を追求する 「山岳信仰」 へと発展した。また、自然の現象や要素に神が宿っていると考え、太陽、月、風、雷などを神として崇めた。日本の季節の祭りや行事には、自然の恵みや季節の移り変わりを祝うものが多数ある。新年の神事や祈り、春のお花見、夏の盆踊り、秋の収穫祭など。さらに、日本の文化や芸術には、自然をモチーフにしたものが多く、庭園や風景画、俳句、茶道などにおいて、自然の美や季節の移り変わりが表現される。 1400年代半ばから1600年代中頃までの大航海時代、スペインやポルトガルはキリスト教の布教という大義名分の下、世界侵略を進めた。日本におけるキリスト教の布教活動は、フランシスコ・ザビエル (1506年〜1552年) により1549年から始まった。その書簡やルイス・フロイス (1532年〜1597年) の “日本史“ (1594年) から、当時の日本人は識字率が高く、好奇心や知識欲が強くかつ論理的であり、布教に苦労したことが読み取れる。豊臣秀吉 (1537年〜1598年) が発したバテレン追放令 (1587年)。さらに、江戸時代、徳川家光 (1604年〜1651年) の治世から始まった鎖国 (1639年〜1854年) により、海外文化の流入に制限が掛けられた。その後、 マシュー・カルブレイス・ペリー (1794年〜1858年) の黒船来航 (1853年) 以来、彼らと伍する国民性により、彼らの植民地とならなかったことも、自然信仰が現在まで色濃く残る一因と考えられる。   1700年代中頃、イギリスに端を発する産業革命は、「アニミズム」 に相対し、自然物を活用・消費する思考である。これにより、人類は多くの福利を手に入れたが、自然環境破壊を招き、地球が有限なものであるとの認識に至った。そして、2015年に国連サミットにおいて、SDGsが採択された。日本では古来から SDGs を実践しており、SDGsには今更感を禁じ得ない。

  • 自民党総裁選から見えてきた 「知る権利」!

    小林裕和 (株)グリーン・インサイト・代表取締役/静岡県立大学・名誉教授・客員教授 古今東西、民衆への 「情報操作」 は統治の常道であるが、現在の日本においては無縁のように思われた。「日本国憲法」 第21条 「表現の自由」 および第13条 「個人の尊重」 は、国民の知る権利を保証しているはずだ。日本国憲法は、連合国軍総司令部 (GHQ) が起草し、1946年に成立した。その成り立ちゆえに、安全保障に加えて時代にそぐわない部分もあるものの、国民の基本的人権を保証している。今回の自民党総裁選において、テレビや新聞といったマスメディアは意図的にこれを侵害した。過去にもそのようなことがあったと想像されるが、今日のソーシャル・ネットワーク (SNS) の普及により、マスメディアによる情報操作が浮き彫りになる。   高市早苗氏の政策は、経済重視と安全保障に立脚し、「積極財政」 により景気回復を図るという明確な論旨であり、他の候補者の追随を許さないものであ った。1992年のバブル崩壊以降、日本の一般会計歳出は一般会計税収を上回り、特殊公債と建設公債を合わせその累積額は2023年度末には1,152.2兆円と報告されている (財務省・令和5年度連結財務書類の概要)。これを増税により解消したいとする 「緊縮財政」 が財務省の目論見である。しかしながら、これは一側面を見ているに過ぎない。「連結貸借対照表」 によると2023年度末の資産合計1,048.9兆円を読み取ることができる (財務省・令和5年度連結財務書類の概要)。さらに政府の子会社とも言える日本銀行の資産は、2023年度末において756.4兆円と報告されている (日本銀行・第139回事業年度財務諸表等)。また、2019年IMF (国際通貨基金) レポートによると、日本政府の総資産と総負債はともにGDP比300%付近にあり、総資産と総負債の差額である正味資産はほぼゼロと言える。政府の正味資産は、イギリス<フランス<ドイツ<アメリカ合衆国<日本<カナダであり (カナダ以外はマイナス値)、 日本の財政は 他国に比べて赤字が多いとは言いがたい。すなわち、累積国債の深刻度は低く、日本には緊縮財政ではなく積極財政を進め る余力がある。したがって、積極財政によって景気低迷からの脱出が可能だと言える。   もう1つの論点は国際安全保障。日本の領海・領空は中国、ロシア、北朝鮮、韓国と接し、共産圏の国々からの艦船、戦闘機、ミサイルによる威嚇に曝されている。中国とは尖閣諸島、ロシアとは北方四島 [択捉島 (えとろふとう)、国後島 (くなしりとう)、色丹島 (しこたんとう)、歯舞群島 (はぼまいぐんとう)]、韓国とは竹島の領有権を巡る問題において、解決の糸口が見出せない。内閣府政府広報室による 「外交に関する世論調査」 (2024年1月) によると、中国およびロシアに 「親しみを感じる人」 対 「親しみを感じない人」 は、それぞれ12.7 対 86.7、4.1 対 95.3。すなわち、世論が親中・親ロでないことは明らかだが、領域侵犯に対しては、軟派と硬派に分かれる。多くの報道メディアは、靖国神社参拝を含む高市氏らの硬派的主張を警戒し、世論もこれになびく傾向が見られた。これは現在の日本国憲法維持派と改憲派に重なり、さらに、皇室典範における女系天皇の支持派と不支持派に繋がる。   元来マスコミはリベラル左派寄りの印象だが、 不安定な市場にはインフラ投資と歳出拡大が必要という 「ケインズ経済学」 的な政策より、市場の効率的な配分を可能にするには自由貿易拡大と歳出削減が必要であるとする 「新自由主義経済学」 的な政策へのバイアスが10倍強いとの報告がある。 また、マスメディアには緊縮財政に批判的な報道を避けるバイアスが働き、これは政府による “メディアコントロール” だと評される。これには以下の要因が働くと考えられる。(1) 政府からのアップデートな情報を得るため、人の交流を含めて政府と報道機関は密接な関係にある。(2) 緊縮財政を指向したい思惑を含んだ政府の発表は、その咀嚼・考察を加えずそのバイアスのまま報道される。(3) テレビやラジオにおいては、放送法を管轄する法務省への忖度が働く。(4) 報道機関には、税制上の優遇やトラブルを避けたい思惑がある。例えば、中日新聞が消費税増税反対の論陣を張ったところ、財務省管轄下の国税庁の税務調査が入ったと言う (情報源:三橋貴明, 2025年)。追徴課税はなくとも記録整理と説明に膨大な時間を要するため、報道機関はこれを避ける方向に動く。すなわち、政府への忖度が不要なSNSに比べ、マスメディアの報道には一定のバイアスが働く。高市氏の人気 度が低いとする情報に加え、高市氏の国政報告資料を選挙運動資料とする報道。著名な政治評論家がさらにこれらの論旨に加担する。これらのマスコミや評論家は、SNSにおいて痛烈な批判に曝されていることをご存知だろうか。議論を核心から逸らす司会者の質問には、討論会における候補者の主張を曖昧にする意図を感じる。今回の自民党総裁選報道により、国民の知る権利への侵害が浮き彫りとなり、結果としてマスメディアが容認する石破茂氏が総裁になった。すなわち、マスメディアの勝利とも言えるが、これによりマスメディアの報道バイアスも浮き彫りになった。このような日本社会に失望すると同時に、憤りを覚える人も少なくないはずだ。今や日本人の81%が利用しているSNS。マスメディアや評論家のSNS軽視は、彼らへの信頼失墜に帰結した。   金曜日の総裁決定を受けて、為替は大きく円高に振れた。これは来るべき月曜日の株価暴落を予測させる。新首相の誕生は、「ご祝儀株価」 として上昇に繋がるのが常であるが、今回は異常とも言える。これは、リズ・トラス英国首相の誕生時を彷彿させる。2022年にトラスが英国の首相に就任した際、打ち出した経済政策により英国の株式市場は大幅に下落した。その結果、彼女は50日という英国史上最短の在任期間となった。日本で最も短命な首相は、東久邇宮稔彦王 (ひがしくにのみや なるひこおう) である。彼は1945年8月17日から同年10月9日までのわずか54日間首相を務めた。次は、羽田 孜 (はた つとむ: 1994年4月28日から同年6月30日までの64日間)、石橋湛山 (1956年12月23日から1957年2月25日までの65日間) が挙げられる。石破政権は厳しい船出となるが、当面はこれを見守るしかない。

  • 1世代:ここ70年間で10歳延伸!

    小林裕和 (株)グリーン・インサイト・代表取締役/静岡県立大学・名誉教授・客員教授   長谷川町子 (1920年〜1992年) による漫画 「サザエさん」 のアニメ版では、波平54歳、フネ52歳、 マスオ28歳、 サザエ24歳、 タラオ3歳の設定。この新聞連載は1946年から始まった。一方、私は 父母の相次ぐ永眠に際し、手続きのために改製原戸籍 ( 古い方の戸籍 ) を取ったところ、私が生まれた1954年に、祖母は46歳、曾祖母は65歳だったことが判明し、その若さに驚いた。こ の年齢構成は 「サザエさん」 の 磯野家のそれと重なる。ところが 、私に初孫が生まれた2018年、私は63歳だった。これらから計算すると、1950年の1世代は第一子で約20年。2020年のそれは約30年となる。すなわち、1世代は10歳延伸したことになる。厚生労働省の調べによると、女性が第一子を出産する平均年齢は、1976年に25.7歳、2015年に30.7歳となっている。海外では、アメリカ合衆国が2007年に25.2歳、イギリスが2004年に27.4歳、オーストラリアが2006年に30歳と報告されている。過去と比較すると、これらの国々でもこの値は伸びている。これは、平均寿命の延伸や社会構造の変化による結婚の後期化が原因であると思われる。   平均寿命とは0歳児の平均余命。2022年時点で、日本の男性が81.05歳、女性が87.09歳。男女平均値84.3歳となり、世界1位である。平均寿命の延伸は、多くの国々で共通し、これは過去1世紀の間に生じた生活水準の向上と医療の進歩によるものと考えられる。社会構造の変化として、単身世帯の増加傾向は多くの国々で見られ、これは一人暮らしを可能にする経済的要因や個人主義による。また、北欧を中心として、子育てや老後に対する社会的支援システムが整備されてきた。これらの変化により、結婚や子育てなどの人生の各段階が遅れ、1世代が長期化した。このような家族や社会の進化が、逆に、経済、社会、医療システムに影響を及ぼしていく。   高齢社会の進展に伴い、いくつかの社会的・経済的問題が想定される。年金制度や医療システムへの負荷が増大する。若い世代が相対的に少なくなるため、彼らに高齢者ケアや社会保障の負担が大きくのしかかる。これにより、若い世代の経済的な自由度が制限される。労働力人口が減少し、経済成長が鈍化する可能性も挙げられる。家族構造の変化により核家族となり、家族内での世代間の交流が少なくなる。その結果、孫と祖父母の関係が希薄になり家族内の支援システムに変化が生じる。親や祖父母が高齢になる中で子供を持つ家族が増えると、教育やキャリアの選択にも影響が生じる。親が高齢であることで、子供への投資が変わる可能性が挙げられる。これらの問題に対処するためには、健康寿命を延ばす努力、高齢者の社会参加を促進する政策、世代間のバランスを考慮した福祉制度の再構築など、多角的なアプローチが必要となる。家族の形態や機能に対する理解を深め、支援策を考えることが重要である。

  • 人生:蜉蝣 (カゲロウ) のごとし!

    小林裕和 (株)グリーン・インサイト・代表取締役/静岡県立大学・名誉教授・客員教授   NHK大河ドラマ 「光る君へ」 で平安ブームに火が付いている。漢字を崩した一筆書きの平仮名は美しい。その美しさはラテン文字、キリル文字、アラビア文字などの筆記体にも通じる。仮名文字は 「和漢混淆文 (わかんこんこうぶん)」 となる場合が多く、この場合は46音に対応する仮名文字に漢字が加わるので、文字種が多い。一方、ラテン文字、キリル文字、アラビア文字の場合は、それぞれ52文字、33文字、28文字を基本とするため、和文の方が一筆書きのバリエーションに富む。その書体による 「蜻蛉日記」 は、藤原道綱の母 (936年頃〜995年) による日本初の本格的女流日記文学と位置づけられる。「なほものはかなきを思へば、あるかなきかの心ちするかげろふの日記といふべし」 から、「蜻蛉日記」 と呼ばれる。トンボの古名である 「蜻蛉」 は、カゲロウ目に属する昆虫を指す 「蜉蝣」 と同意語とされる。「はかない」 思いを 「蜉蝣」 に重ねた。その飛ぶさまが気象現象 「陽炎」 のように見え、成虫としては一日の命である。人の命のはかなさを表す言葉として、「人生は一息に過ぎない (英語, Life is but a breath.; スペイン語, "La vida es un suspiro.)」、「人生ははかない (フランス語, La vie est éphémère.)」、「人生は短い (イタリア語, La vita è breve.)」、「人生は移り変わりやすい (ドイツ語, Das Leben ist vergänglich.)」 などと言われるが、「蜉蝣」 に例えるのが日本的である。若い頃は自分の命は無限のように思えたが、親の他界を体験し、古稀に伴い体に衰えを感じるようになると、自分の命が有限であることを認識せざるを得ない。   「生」 は古今東西、人にとって最大の関心事である。このためか、日本では 「生」 に16通りの読み方が与えられており、最多。音読み 「セイ」、「ショウ」、訓読み 「いきる」、「いかす」、「いける」、「うまれる」、「うむ」、「おう」、「はえる」、「はやす」、「き」、「なま」、「いのち」、「うぶ」、「なる」、「なす」。地名や人名を加えると100以上になると言われている。「生」 という漢字は、象形文字として植物の芽生えさらに苗木の形に由来する。すなわち、古代人は植物の芽生えに命の息吹を感じたのであろう。   私は、小学校まで子供の足で1時間ほどかかった。登校は集団であったが、下校時は一人のこともあった。そのようなとき、自分には自分と言う人格があり、今は生きているが、生まれる前はどうなっていたのか、死後はどうなるのか、自分は地球の上にいるが宇宙の端のその外はどうなっているのかと、いくら考えても答えは見出せない。当時道路脇の側溝には蓋がなく、そこに落ちて足を擦りむくことも一度や二度ではなかった。このような命題に対し、理論として積み上げるのが、哲学、取り分け形而上学。また物質として追究するのが自然科学であることを知った。私は後者の道に進み、生命現象は細胞内の出来事の集合であり、細胞内の出来事はDNA遺伝情報の発現として化学の言葉で説明できる。それは分子の働きであるが、分子は原子 (元素) から構成されている。そうすると元素はどうやってできたのか。宇宙の進化において次第に重い元素が作られて行ったと言う。宇宙の歴史138億年を人の一生に置き換えると、日本人の平均寿命を85歳として、85年×(85年/138億年) となり、人の一生は16.5秒に過ぎない。

  • タイ国にシンパシー!

    小林裕和 (株)グリーン・インサイト・代表取締役/静岡県立大学・名誉教授・客員教授   旅行情報サイトTripAdvisorによると、日本は海外 の人にとって一番来てみたい 国らしい 。一方、日本から出かけるとすると、アジア近隣諸国やヨーロッパの人気が高い。共同作業をするとき、気の合う人とそうでない人といった個人差に加えて、国民性ではタイ国の方が付き合いやすいと感じる。このシンパシー (共感) はどこからくるのであろう? 研究者は世界中で繋がっており、その研究成果は英語という共通言語で共有される。 私が、米国での博士研究員 (ポストドック) を終え、母校の名古屋大学に職を得て戻ってきたとき、最初に研究を指導したのがタイ国からの留学生である。彼女は私が知る限り他のどの研究者よりも実験がうまかった。それは個人の資質であるが、さらに人間関係が日本的で疲れなかった。彼女はタイ国の最高学府であるチュラロンコン大学の卒業生だ。すなわち知識も英語力も申し分なかった。彼女は日本で博士学位を取得後、タイ国のこれまた屈指のマヒドン大学に勤めた。その後、彼女の印象がよかったので、彼女にお願いしマヒドン大学からの留学生を静岡県立大学で受け入れた。この留学生も優秀であり、性格が日本に馴染んだように思えた。   タイ国に抱くシンパシーはどこから来るのだろう。第一に挙げられるのは、タイ国は日本と同じ仏教国。日本人には自分を仏教徒と思っていない人が多いが、仏教が歴史と文化に大きく影響を与えている。 礼儀正しさや他人への畏敬の文化が根付いており、タイ国では 「ワイ」 という合掌の挨拶。一方、日本ではお辞儀という違いはある。第二に、このような文化が維持されてきた背景として、共に西欧の植民地にならなかったことが挙げられる。タイ国 (当時:シャム) は、イギリスが支配するビルマ (現:ミャンマー ) とフランスが支配するインドシナ (現:ベトナム、カンボジア、ラオス) の間に位置した。したがって、イギリスとフランスの間での 「緩衝国」 として機能し、どちらの国もシャムを直接支配するより独立した状態に保つ方が得策だと考えたのだろう。また、シャムの指導者たち、特にラーマ4世 (モンクット王:1804年〜1868年) とラーマ5世 (チュラロンコン王:1853年〜1910年) は、巧妙な外交手腕を発揮した。なお、ラーマ4世はミュージカル 「王様と私」 のモデルとしても有名。彼らはイギリスとフランスの間でバランスを保つ政策を取り、それぞれの国と条約を結んでシャムの独立を維持した。第三に、食文化の共通性。両国ともに米が主食で、タイ料理と日本料理はそれぞれ独自の特色を持っているが、新鮮な食材と調理法へのこだわりが共通。   タイ国 (旧:シャム) と日本には、太い交流の歴史がある。1400年代〜1500年代、日本とシャムとの貿易が盛んになった。シャムからは香料、象牙、絹製品などが日本に輸出され、日本は刀剣や銀などをシャムに輸出した。その後、豊臣秀吉 (1537年〜1598年) の時代 (1583年〜) から朱印船貿易が行われ、日本の商人がシャムに進出した。取り分け、シャムのアユタヤ王朝との交流が深まり、日本人街がアユタヤに形成された。最盛期には1,500人以上の日本人が居住したと言われる。その中の一人山田長政 (1590年頃〜1630年) は、貿易商として才覚を発揮した。引き続き、アユタヤの日本人傭兵部隊の隊長として頭角を現し、アユタヤの宿敵ビルマとの戦いで功績を上げる。これにより、宮廷の信頼を得た長政とその傭兵隊は、王の護衛隊まで務めるようになり、1629年アユタヤ王朝配下のリゴールの国王にまで上り詰めた。その後近代に入り、1900年、仏舎利 (釈迦の遺骨) がラーマ5世から日本国民へ寄贈された。この奉安場所として、1904年名古屋市に覚王山日暹寺 (にっせんじ) が創建され、1949年シャムのタイへの最終的な改名に合わせて 「日泰寺 (にったいじ)」 と改称された (日, 日本; 泰, タイ国)。同年、第二次世界大戦で心身共に疲弊した日本に、タイ国から 「象のはな子」 が送られ日本中に笑顔を与えた。「はな子」 は2016年まで生き、69歳という長寿であった。 日本の昔話には、「舌切り雀」、「花咲か爺」、「鶴の恩返し」 などのように動物への博愛精神に満ちている。一方、タイ国で、ゾウは 「チャーン」 と呼ばれ、その響きが愛らしい。タイでは、「白いゾウの伝説」、「プラアジャンの物語」、さらに 「エレファント・ネイチャー・パーク」 の貢献など、ゾウへの慈しみが高く、日本と精神的共通性を感じる。一方、私はタイ国で二度ゾウに乗せてもらったことがあるが、象使いの下、ゾウには人への忠誠心を感じた。 私はタイ国を5回訪問し、アユタヤにも足を運んだ。その時、案内役を買って出てくれたのは、かつての留学生であった。恩に熱い人たちである。日本からタイ国へは飛行機で6時間強掛かり、近いとは言えないが、掛け替えのないアジアの隣人であることを心に刻みたい。

  • 富士山:遙拝 (ようはい) の対象!

    小林裕和 (株)グリーン・インサイト・代表取締役/静岡県立大学・名誉教授・客員教授   今年4月よりNHK 「新プロジェクトX」 が始まった。旧 「プロジェクトX」 (2000年3月〜2005年12月) の第1回で取り上げられたのが、富士山レーダー設置だった。富士山レーダーは1964年から1999年まで稼働した。現在、富士山レーダーは、「富士吉田市立富士山レーダードーム公園」 に移設保存されており、富士山測候所は、「NPO法人 富士山測候所を活用する会」 により夏季のみ観測が行われている。 「富士山」 は眺望あるいは登山の対象でもあり、歴史的には畏怖の念を持って崇められてきた。 記録に残る大規模噴火は、864年〜866年 (貞観6年〜7年) と1707年 (宝永4年) であり、1083年〜1427年と1511年〜1704年は、長期に渡り噴火活動が停止。これら以外の期間は、永続的に小規模な噴火や噴気が観察されている。江戸時代までの日本人の平均寿命は45歳と言われており、各人の生涯において噴火に遭遇するか否かにより、富士山に対する認識は大きく異なることが予想される。富士山に関する最初の記録は、713年に編纂された 「常陸国風土記」 に 「福慈岳」 として登場。600年代から759年までの歌が収録された 「万葉集」 では、山部赤人による 「田子の浦ゆうち出でてみれば真白にぞ不二の高嶺に雪は降りける」 が有名。すなわち、「不二山」 あるいは 「不尽山」 とも書かれた。「富士山」 との表記は、都良香 (834年〜879年) による 「山を富士と名づくるは、郡の名に取れるなり」 に端を発すると考えられる。864年からの大規模噴火において、北西麓から噴き出した溶岩により、その後の樹海、本栖湖、精進湖、西湖ができたとされている。大規模噴火の報せが平安京に届くと、朝廷はこの原因を大神祭祀の怠慢とし、駿河 (現:静岡県中部) に 「鎮謝」、甲斐 (現:山梨県) に 「奉幣解謝 (捧げものをして祀る)」 との下知。これにより、富士山は 「遙拝 (ようはい)」 の対象となった。1216年に完成した 「新古今和歌集」 には、西行 (1118年〜1190年) による 「風になびく富士の煙の空にきえてゆくへもしらぬ我が心かな」 と、富士山の煙が詠われている。この時期は火山活動の停滞期であり、この 「煙」 は、「煙雲」 を指すと捉えるのが自然である。 松尾芭蕉 (1644年〜1694年) の弟子である宝井其角 (1661年〜1707年) は、「 空蝉や富士を見ぬ日ぞ面白き」 と 詠んでいる。この句は、噴火による煙や灰で富士山が見えなくなることの奇妙さや異常さを表している。   日本最古の物語 「竹取物語」 は900年ごろの成立とされるが、作者不詳。そのエピローグ。 「いづれの山か天に近き。」 と問はせ給ふに、或人奏す、「駿河の国にある山なん、この都も近く天も近く侍る。」 と奏す。(中略) 不死の薬の壺ならべて、火をつけてもやすべきよし仰せ給ふ。そのよし承りて、兵士つはものどもあまた具して山へ登りけるよりなん、その山をふしの山とは名づけゝる。その煙いまだ雲の中へたち昇るとぞいひ傳へたる。 このとき活火山となり、「不死山」 の名を拝する。かぐや姫は、天に召される前に、「今はとて天のはごろもきるをりぞ君をあはれとおもひいでぬる」 と詠んだ。この 「羽衣」 は、歌川広重 (1797年〜1858年) の 「冨士三十六景」 の1つ、「駿河三保之松原」 として富士山と共に描かれている 「三保」 の 「羽衣伝説」 にも通じる。共に 「羽衣」 を纏うことにより天に昇る。 羽衣伝説は日本のみならず世界各地に伝わる民話とされており、 竹取物語とは起原が異なると考える方が無理がない。   富士山はかつて休火山とされていたが、2003年に火山噴火予知連絡会は、「概ね過去1万年以内に噴火した火山および現在活発な噴気活動のある火山」 を 「活火山」 と定義し直した。富士山は活火山であり、次の噴火時期が気になる。富士山は、過去3200年間で100回噴火しており、したがって、平均値としては30年間に1回の割合となる。南海トラフ地震は、宝永地震 (1707年)、安政地震 (1854年)、昭和南海地震 (1946年) と、概ね100年から150年周期で発生している。この規則性から計算すると、次の南海トラフ地震は2040年頃までに発生する可能性が高いと考えられている。静岡県立大学理事長・学長を2024年3月まで務められ、懇意にさせていただいている尾池和夫先生 (元京都大学総長) は、「2038年:南海トラフ巨大地震」 を執筆された。宝永地震は富士山噴火と連動しているが、過去には地震と噴火が同調していない例も見出せる。何れにしても、「富士山」 は遙拝の対象であることを忘れてはならない。

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© by Hirokazu Kobayashi, Green Insight Japan.

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