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静岡県中部の産業:プラモデルとエアコン生産で日本一!

  • 執筆者の写真: Hirokazu Kobayashi
    Hirokazu Kobayashi
  • 1 日前
  • 読了時間: 4分

更新日:12 時間前

小林裕和

(株)グリーン・インサイト・代表取締役/静岡県立大学・名誉教授・客員教授


「団塊の世代」 と言う言葉はよく聞くが、それに引き続く世代は、「ポスト団塊の世代」 あるいは 「前期しらけ世代」 と言うらしい。1950年〜1955年生まれの人たちだ。これに私は属する。「団塊の世代」 が社会の各種 「門」 を押し広げてくれたお陰で、楽をしている世代だと認識している。その私たちが子供のころ、男子にとってプラモデルは憧れの玩具であった。自動車、戦車、モーターボートなど、ブリキ製に比べて精巧な作りで、しかもモーターで動く、さらに自分で組み立てる。これは子供たちを魅了した。セメダイン (接着剤) の臭いをいい臭いだと感じ、これは主としてトルエンであり神経毒であるにもかかわらず、当時は何ら問題視もしなかった。1991年、36歳になってから静岡市に移り住んだが、株式会社タミヤの本社の看板を目にするとき、何故静岡市でプラモデルが盛んに作られるのかと不思議に思った。2022年のプラモデル出荷額において、静岡県は日本一の約338億円であり全国の85%に相当する。

 

時系列を遡ってみよう。プラモデルの前の世代の模型はというと、主軸がバルサ材、羽は竹ひごに紙を貼った構造で、ゴムを駆動力とした模型飛行機 (ライトプレーン) があった。この組立ては幼少者には難しかった。タミヤの沿革史には、同社が太平洋戦争後木製模型から始まったことが記されている。静岡市は、戦前から木製模型や精密な木工技術を持っていた。それは何故? 東西に延びる静岡県の北部には、天竜山地、南アルプス、富士山麓などの森林が広がり、良質なスギやヒノキが生産される。そして、天竜川、大井川, 安倍川など急峻な河川を利用し、筏 (いかだ) 流しにより、それらの木材が搬出された。これらの河口からは、艀 (はしけ) を曳航船 (えいこうせん) が引っ張って清水港まで運んだ。そう言えば、1991年当時、清水港周辺には水中貯木場があり、そこで子供たちが遊ばないように注意されていた。そして、清水港から東京方面、さらに全国に搬送された。明治以降は鉄道 (東海道本線、飯田線など) が整備され、木材流通には陸路も利用された。静岡県は、人口が多く建築需要が高い東京と名古屋の中間に位置し、これら都市圏に木材を安定供給できると言う地理的優位性を有する。太平洋戦争中は、浜松、藤枝、清水にあった航空基地や軍需工場と連携し、木材は建築、船舶、鉄道枕木、兵舎など多用途に使われた。さらに遡ると、浜松市天竜区では、江戸時代に 「天竜林業」 が発展し、地域経済の基盤を提供した。

 

2021年のエアコン出荷額において、静岡県は日本一の約2,800億円であり、全国の約39%を占める。個人的には、日立清水エンジニアリング株式会社 (現 日立グローバルライフソリューションズ株式会社の一部) や三菱電機株式会社静岡製作所の社長と親しくさせていただいた。何故、静岡市でエアコン生産が盛んなのであろう? 静岡市は、地理的に首都圏と中京圏の中間に位置し、東名高速道路、新東名高速道路、国道1号線、東海道新幹線、東海道本線と言った交通の大動脈上に位置する。これにより、部材の調達、製品出荷に対して、非常に高い物流効率が得られる。国際貿易においては、静岡市には清水港があり、戦後急速に整備され、工業製品の輸出港としての地位を確立してきた。すなわち、静岡市は部品組立工場としての適性が高く、サプライチェーンの中継点として地政学的に優位である。

 

静岡市は温暖な気候に恵まれ、徳川家康が富士山を仰ぎ見ながら晩年を過ごした地であるのみにあらず。北部の山岳地域と南部の海、さらに東京と名古屋の中間に位置すると言う地政学的な特性から今日に至る。静岡県西部のスズキ株式会社、ヤマハ株式会社などの製造業に加えて、上記のごとく静岡県中部地域の生産性も高い。静岡県は日本の6大都市を含まないにも係わらず、その総生産 (GDP) は約18兆円であり、全国10位に位置付けられる。



 
 
 

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