小林裕和
(株)グリーン・インサイト・代表取締役/静岡県立大学・名誉教授・客員教授
それは、青虫 (蝶の幼虫) の観察から始まった。小学校低学年の1962年頃、キアゲハの1令か2令ぐらいの幼虫数匹が着いたニンジンの葉を畑から持ち帰った。幅25cm、奥行き25cm、高さ50cmぐらいの網製の飼育箱を用意して、毎年のようにキアゲハの幼虫を飼った。そして、幼虫の脱皮、蛹化、最後に蛹から蝶が出てくる様子 (羽化) を観察した。飼料であるニンジンの葉は、近くの畑の側溝に生えている野生のセリに置き換えることもできた。これにより、キアゲハの幼虫が餌とするのはセリ科に限定されることを学んだ。この頃、アオスジアゲアやオオムラサキの成虫 (蝶)、さらにタマムシを見つけて感動した。小学校の高学年になると、家に顕微鏡があったので、これを用い主に植物の細胞を観察した。当時の顕微鏡に録画装置は付いていない。私は顕微鏡観察のスケッチを楽しんだ。大学では植物病理学研究室に所属し、リンゴ斑点落葉病菌が生産する宿主特異的毒素の作用機構の解明に夢中になった。経時観察のために、夜中研究室まで、約3kmの道程を歩いて行くこともあった。この研究で、それまで教科書的知識でしかなかった生物が生産するエネルギー物質 “ATP” を始めて目にし、それがただの粉であることに感激した。ルシフェラーゼ活性でATPを定量していたので、ルシフェリンやルシフェラーゼは乾燥させたホタルの尻尾を購入した。このようなものが試薬として市販されていることにも驚いた。大学院では遺伝子発現を研究した。そこで始めてDNAを見て、それは白い繊維であり、なるほどと思った。1970年代に生命の設計図であるこのDNAに秘められた遺伝情報の解読が可能となった。生命の本質はこれで分かると直感し、DNA学に傾倒していった。そこで、1980年代初頭、DNA解析の最前線であったハーバード大学で研究する機会に恵まれた。
動植物の細胞内で起こっている生命の不思議は、好奇心をかき立てる。1600年代になって顕微鏡が発明されると、細胞や微生物が観察できるようになり、「細胞学」 や 「細菌学」 へと発展した。1900年代に入り化学分析が可能になると、細胞を構成する化学成分が解明され 「生化学」 へと進んだ。1950年代以降、X線回折はタンパク質の構造解析において威力を発揮した。これが、生命の設計図であるDNAの構造解析に用いられ、1953年にその構造が明らかとなった。1970年代にはDNA遺伝情報 (塩基配列) の解読が可能となった。これにより、「分子生物学」 が発達する。グレゴール・ヨハン・メンデル (1822年〜1884年) による 「遺伝学」 は、1990年代になって分子生物学と出会い、「分子遺伝学」 が生まれた。近年各種のイメージング技術が進歩し、組織や細胞レベルでの画像解析を基盤とする 「構造生物学」 が盛んになっている。このように技術革新が生命科学を支えている。科学は分析技術に依存する。私の研究もまた、このような技術革新に連動してきた。
「原理」 を導き出すあるいは活用するのが 「研究」 であり、その醍醐味に魅せられる。一方、「研究」 自身に 「原理」 がある。それは進め方の 「原理」 である。これは教えられると言うより、自然に会得する。あるいは、言い方を代えると、研究の進め方がうまい人が研究者として大成する。これは、PDCAサイクル [Plan (計画)、Do (実行)、Check (評価)、Act (行動)] やOODAループ [Observe (観察)、Orient (方向設定)、Decide (決定)、Act (行動)] に通じる。研究は、文献調査 → 実験 → 理論化 (Literature review → Experiment → Theorize) と進み、これが精査されつつ繰り返される。これを 「LETループ」 と呼びたい。未だ、誰も取り上げていない命名である。
Comments