小林裕和
(株)グリーン・インサイト・代表取締役/静岡県立大学・名誉教授・客員教授
大谷翔平 (1994年〜) がグランドでゴミを拾うと賞賛される。日本人の仕草が、国際的な評価を得るようになった。2022年には、カタールで開催されたFIFAワールドカップで、日本人サポーターのゴミ拾いが世界の賞賛を浴びた。期待を遙かに超えた大谷の活躍や、強豪ドイツやスペインを制するという快挙を成し遂げた日本であるからこそ、賞賛を受ける。1995年、阪神・淡路大震災のとき、私は学会参加のため、アメリカ合衆国カリフォルニア州サンジェゴにいた。日本が大変なことになっているよと教えられ、テレビを見てみると、本当に大変な惨事だった。アメリカ合衆国のテレビ局は、機能を停止したコンビニやスーパーから盗品がないことを賞賛していた。日本人としては、その着眼点に驚いた。
ゴミを拾うと賞賛されるという話しは、40年前は違っていた。1983年から2年間弱、私はアメリカ合衆国のボストンに住み、ハーバード大学にて研究に従事していた。研究室にゴミが落ちていたので、拾ってゴミ箱に捨てると、「何故そのようなことをするのだ。掃除は清掃員の仕事だろう!」 と不思議がられた。なるほど、アメリカ合衆国のすべての職業人は、誇りを持って仕事に取り組んでいるプロだ。その仕事を奪うことになるのかと思った。当時は安くて品質が高い日本車がアメリカ車を席捲し、日本バッシングの時代であった。日本の高い技術水準は今に始まったことではない。1543年種子島に伝来した2丁の火縄銃の1丁を分解し、それを元に堺や国友の地で火縄銃が大量生産され、その数は1573年までに50万丁にまで膨れ上がったという。これは、当時世界最高の保有数だったらしい。1990年代以降は、工業製品に取って代わり、日本の文化が急速に世界に浸透していった。私がアメリカ合衆国に住んでいた1983年〜1984年当時、アメリカ合衆国で通じる日本語は、”futon (布団)” と “tofu (豆腐)” ぐらいか。現在では、”kimono (着物)”、”manga (漫画)”、”sushi (寿司)”、”tempura (天ぷら)”、”ramen (ラーメン)”、”kabuki (歌舞伎)”、”bonsai (盆栽)”、”ninja (忍者)”、”sumo (相撲)”、”kawaii (かわいい)”、”karaoke (カラオケ)”、”kaizen (改善)”、”mottainai (もったいない)” など多数。
日本の特性は、地政学的な日本の特徴に由来すると考える。日本は氷期には朝鮮半島および樺太を介してユーラシア大陸と地続きになる。その最後が約2万年前であった。その結果、遺伝学的に異なる複数の集団が日本に住み着いたと推察される。その後、海水面が上がり大陸と隔てられた。縄文時代は紀元前14000年〜紀元前400年頃とされているが、この間の縄文土器や土偶の高い芸術性からは高度な文明が偲ばれる。このような独自の文化の花開から、稲作や漢字は大陸から伝来したと理解されているが、むしろその逆ではないかという説もある。漢字について具体的には、象形文字の起源とされる甲骨文字として、日本の神代文字の1つである阿比留草 (あひるくさ, あびるくさ) 文字の一部が対応することが指摘されている。しかし、紀元前210年ごろ、これは徐福 (紀元前255年〜210年頃) によって日本に伝えられたとも考えられている。最新のヒトゲノム解析は、日本人の祖先が3つの源流 (縄文系祖先、関西系祖先、東北系祖先) に由来することを支持している。これにより、縄文時代以降の渡来人の混入も伺える。「雑種強勢」 といって、遺伝学的多様性は各種形質に秀でる。
日本は島国のため、奪い合う土地には限界があり、その中で生きていかなくてはならない。日本の古墳時代 (200年代末〜500年代中頃)、中国では日本を 「倭」 と呼んだが、元明天皇 (661年〜721年) の時代 (707年〜715年) に、それを 「和」 とし、さらに 「大」 の字を付けて 「大和」 としたといわれている。その後、この呼称が広まったのは、養老律令 (757年) からだとされている。「和」 は、「和訳」、「和文」、「和服」、「和歌」 など今日でも日本を表す言葉である。「和」 は人の和 (輪)、なかよくすることを意味する。したがって、人に迷惑を掛けないこと、笑顔で応えること、挨拶をすること、譲り合うこと、そしてゴミを拾うことなど、日本人は幼い頃からそれらを習う。また、限られた資源のため、日本人は高い知識と技術を身につけた。そのような風習・気質・文化に根ざす日本人の活躍や日本の文化に世界の人々が憧れを抱き始めた。世界人口が80億人を突破し、環境汚染が進行、それにウクライナやパレスチナでの抗戦が加わり、ここに至って、地球が有限であることへの認識が高まっている。世界中の人々は、無意識のうちに日本の 「和」 に安らぎを感じ、それを求めているのではないだろうか。
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