小林裕和
(株)グリーン・インサイト・代表取締役/静岡県立大学・名誉教授・客員教授
明治41年 (1908年) 生まれの私の亡き祖母の価値観では、すべての有形物には神がいた。これは、自然信仰 (崇拝) に起因すると考えられるが、いわゆる 「八百万の神」 の概念である。「神」 を 「魂」 に置き換えるなら、「アニミズム (自然界のそれぞれの物には魂が宿るという概念)」 に通じる。私は、一人で保育園や小学校へ行くことが不安だったが、両肩には神様がいるので寂しくないと祖母に教えられた。また、米粒にも神様がいるので、残さず全部食べるよう教わり、素直にそれらを信じた。人の左右の肩にいる神は 「倶生神 (くしょうじん)」 と呼ばれ、仏教の概念であるが、これも自然信仰に通じるように思われる。自然信仰は、世界中のさまざまな民族や文化において見出せる。古代ギリシャやローマにおいて、彼らは自然の力や現象を擬人化し、神々として崇拝した。ケルト人は、森、川、湖などの自然の場所を崇拝し、その中に存在する精霊や神々を礼拝した。ネイティブ・アメリカンの多くの部族は、アニミズムやトーテミズム (特定の自然物) を信仰の対象とした。ヒンドゥー教では、多くの神々が自然界の様々な要素を象徴していると考えた。北欧のゲルマン人は、森、川、山、雷などの自然現象に関連する神々を創造し崇拝した。紀元後、これらの価値観はキリスト教やイスラム教といった一神教に淘汰されていった。
日本において、古代から現代に至るまで自然信仰は重要な要素である。神道では、山や森、川や海、岩などの自然を神域として崇拝した。取り分け、山々は神聖な場所とし、山の神々や山の霊を尊重し、山岳修行や山登りを通じて霊的な成長を追求する 「山岳信仰」 へと発展した。また、自然の現象や要素に神が宿っていると考え、太陽、月、風、雷などを神として崇めた。日本の季節の祭りや行事には、自然の恵みや季節の移り変わりを祝うものが多数ある。新年の神事や祈り、春のお花見、夏の盆踊り、秋の収穫祭など。さらに、日本の文化や芸術には、自然をモチーフにしたものが多く、庭園や風景画、俳句、茶道などにおいて、自然の美や季節の移り変わりが表現される。
1400年代半ばから1600年代中頃までの大航海時代、スペインやポルトガルはキリスト教の布教という大義名分の下、世界侵略を進めた。日本におけるキリスト教の布教活動は、フランシスコ・ザビエル (1506年〜1552年) により1549年から始まった。その書簡やルイス・フロイス (1532年〜1597年) の “日本史“ (1594年) から、当時の日本人は識字率が高く、好奇心や知識欲が強くかつ論理的であり、布教に苦労したことが読み取れる。豊臣秀吉 (1537年〜1598年) が発したバテレン追放令 (1587年)。さらに、江戸時代、徳川家光 (1604年〜1651年) の治世から始まった鎖国 (1639年〜1854年) により、海外文化の流入に制限が掛けられた。その後、マシュー・カルブレイス・ペリー (1794年〜1858年) の黒船来航 (1853年) 以来、彼らと伍する国民性により、彼らの植民地とならなかったことも、自然信仰が現在まで色濃く残る一因と考えられる。
1700年代中頃、イギリスに端を発する産業革命は、「アニミズム」 に相対し、自然物を活用・消費する思考である。これにより、人類は多くの福利を手に入れたが、自然環境破壊を招き、地球が有限なものであるとの認識に至った。そして、2015年に国連サミットにおいてSDGsが採択された。日本では古来からSDGsを実践しており、SDGsには今更感を禁じ得ない。
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