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執筆者の写真Hirokazu Kobayashi

人生:蜉蝣 (カゲロウ) のごとし!

更新日:7月10日

小林裕和

(株)グリーン・インサイト・代表取締役/静岡県立大学・名誉教授・客員教授

 

NHK大河ドラマ 「光る君へ」 で平安ブームに火が付いている。漢字を崩した一筆書きの平仮名は美しい。その美しさはラテン文字、キリル文字、アラビア文字などの筆記体にも通じる。仮名文字は 「和漢混淆文 (わかんこんこうぶん)」 となる場合が多く、この場合は46音に対応する仮名文字に漢字が加わるので、文字種が多い。一方、ラテン文字、キリル文字、アラビア文字の場合は、それぞれ52文字、33文字、28文字を基本とするため、和文の方が一筆書きのバリエーションに富む。その書体による 「蜻蛉日記」 は、藤原道綱の母 (936年頃〜995年頃) による日本初の本格的女流日記文学と位置づけられる。「なほものはかなきを思へば、あるかなきかの心ちするかげろふの日記といふべし」 から、「蜻蛉日記」 と呼ばれる。トンボの古名である 「蜻蛉」 は、カゲロウ目に属する昆虫を指す 「蜉蝣」 と同意語とされる。「はかない」 思いを 「蜉蝣」 に重ねた。その飛ぶさまが気象現象 「陽炎」 のように見え、成虫としては一日の命である。人の命のはかなさを表す言葉として、「人生は一息に過ぎない (英語, Life is but a breath.; スペイン語, "La vida es un suspiro.)」、「人生ははかない (フランス語, La vie est éphémère.)」、「人生は短い (イタリア語, La vita è breve.)」、「人生は移り変わりやすい (ドイツ語, Das Leben ist vergänglich.)」 などと言われるが、「蜉蝣」 に例えるのが日本的である。若い頃は自分の命は無限のように思えたが、親の他界を体験し、古稀に伴い体に衰えを感じるようになると、自分の命が有限であることを認識せざるを得ない。

 

「生」 は古今東西、人にとって最大の関心事である。このためか、日本では 「生」 に16通りの読み方が与えられており、最多。音読み 「セイ」、「ショウ」、訓読み 「いきる」、「いかす」、「いける」、「うまれる」、「うむ」、「おう」、「はえる」、「はやす」、「き」、「なま」、「いのち」、「うぶ」、「なる」、「なす」。地名や人名を加えると100以上になると言われている。「生」 という漢字は、象形文字として植物の芽生えさらに苗木の形に由来する。すなわち、古代人は植物の芽生えに命の息吹を感じたのであろう。

 

私は、小学校まで子供の足で1時間ほどかかった。登校は集団であったが、下校時は一人のこともあった。そのようなとき、自分には自分と言う人格があり、今は生きているが、生まれる前はどうなっていたのか、死後はどうなるのか、自分は地球の上にいるが宇宙の端のその外はどうなっているのかと、いくら考えても答えは見出せない。当時道路脇の側溝には蓋がなく、そこに落ちて足を擦りむくことも一度や二度ではなかった。このような命題に対し、理論として積み上げるのが、哲学、取り分け形而上学。また物質として追究するのが自然科学であることを知った。私は後者の道に進み、生命現象は細胞内の出来事の集合であり、細胞内の出来事はDNA遺伝情報の発現として化学の言葉で説明できる。それは分子の働きであるが、分子は原子 (元素) から構成されている。そうすると元素はどうやってできたのか。宇宙の進化において次第に重い元素が作られて行ったと言う。宇宙の歴史138億年を人の一生に置き換えると、日本人の平均寿命を85歳として、85年×(85年/138億年) となり、人の一生は16.5秒に過ぎない。





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